2022年12月14日
歴女が白河の歴史に迫る ―戊辰戦争編―
早いものでもう師走、皆さん年末年始のご準備はお済みですか?
つい先日、白河市では雪が少し積もりました。寒さで朝が辛い今日この頃ですね…
さて今回、自称 歴女(レキジョ) が 白河と戊辰戦争の関わり についてお話ししたいと思います。
戊辰戦争 と言われても、学生時代に日本史を履修していないとさっぱりという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
有名な出来事としては、 京都・鳥羽伏見の戦い から始まり、 江戸城無血開城 、函館の五稜郭で 新選組副長の土方歳三が倒れた …といったところでしょうか。
大河ドラマ「八重の桜」等で有名なのは同じ福島県の会津ですが、弊社の工場がある白河においても大きな戦いがありました。
会津藩・仙台藩を中心とした奥羽越列藩同盟軍(東軍)と薩摩藩・長州藩・土佐藩を中核とした新政府軍(西軍)との戦い で、
同盟軍は2,500人以上の兵力を擁しながらも新政府軍700人に大敗し、 白河・小峰城 を奪われることとなりました。
その後、土佐藩の板垣退助率いる新政府軍が白河から東にある棚倉城を攻略。
同盟軍は小峰城を奪還すべく攻撃し続けますが失敗に終わり、白河周辺から撤退。
およそ三か月にわたる 「白河口の戦い」 は終結しました。
この戦争で 小峰城 は大部分が 焼失 しています。
(現在の復元された小峰城、東日本大震災で崩れた石垣も再現されました)
この戦いは宇都宮の戦いで負傷した土方歳三に代わり、斎藤一が隊長になった 新選組も参戦 していました。
およそ100日にわたり1,000人以上の戦死者が出たこの白河口の戦いは 戊辰戦争の東北における最初の戦い でした。
補足ですが、新選組一番隊隊長、 沖田総司 は 白河藩士沖田勝次郎の長男 として産まれ
白河と ゆかりがあり!新選組ファン としては 胸熱 です!
話を戻しますが、白河口の戦いで一番の激戦区だった 稲荷山 。
ここは小峰城から南に2km程にある低い山ですが、
奥州街道から白河の城下に入る関門 でもあります。
そのため両軍とも重要視する場所で多くの犠牲者がでました。
(google mapから)
現在ではきれいに整備され、 稲荷山は史跡公園 として誰でも散策しながら歴史に触れることができます。
また、麓には道路を挟み 東軍(会津藩) と 西軍(長州・大垣藩) の 戦没者のお墓 があります。
相対する軍同士のお墓がすぐ近くに並んで建てられていることは全国的にも珍しいとされています。
戦場で周囲に色々な被害もあった中、亡くなられたすべての方に情けをかけた当時の白河の人々の ”仁” の心を感じられます。
(東軍:会津藩の戦死墓) (西軍:長州・大垣藩の戦死墓)
それ以外にも 城下町の白河 は、古い建造物、石でできた標識、戊辰戦争の慰霊碑など各所で 史跡 を見ることができます。
休日はのんびり散歩がてらノスタルジーに浸るのもいいのではないでしょうか?
白河に来られたらラーメンだけでなく、 この町の歴史の足跡にも足を運んで みてはいかがでしょうか!
まだまだ話したいことは山ほどありますが、今回はこの辺で・・・またお会いしましょう。